質的研究と量的研究

様々な質的研究方法論についてまとめてくれていた

  昨日8月7日と本日8日と横浜で第37回看護研究学会がありました。昨年はSOCに関する自由集会があって参加しましたが、今年はなかったようです。ただ、テーマが方法論に特化されていて、教育講演やシンポジウムはなかなか聞きごたえがありました。グラウンデッドセオリーや、エスノグラフィーや現象学的アプローチ、あるいは、ミックス法やトライアンギュレーションにかんして、その方法について明るい先生方がそれぞれ1時間くらいでまとめてその方法の特性と意義について説明してくれていました。特に質的研究初心者の私としては、量的研究に対する質的研究の立場と、各方法論の共通性や独自性を明瞭に示してくれていたので、実にお得でした。こうした方法論的な部分(研究的な部分と言っても良いかもしれませんが)で土壌として乏しい看護学領域の中の先生でなく、それぞれ社会学系の先生を中心に集めていて、ともすれば、「私達のことは他の分野のヒトにはわからないから」といって拒絶しがちな印象があるこれまでの看護系学会の雰囲気とは大きく違っていていたように思います。

修正版グランデッドセオリーアプローチ(GTA

 修正版GT法の木下先生は(今度放送大学教材の共著者にもなるのですが)、実に明確に、その立場の科学性について説明していました。従来の客観的普遍的一般化を目指す実証科学研究については研究専門家集団の合意が基礎にあるとするが、実践科学の立場では問いが最重要でありその答えである知見に実践的価値があれば良いとする、研究者自身が方法論化する、あくまでも限定した範囲内での(極論では事例内で)一般化をめざす、と言ったあたりが特徴的であるとしていました。量的研究とのコミュニケーションも、同意まではいたらないまでも、可能になるのではないかと言っていました。このあたりで、最近山崎先生が進めているSOCの具象化研究と称した量的な研究とかなり思想が一致するのではないかと思いました。ただ、この思想、立場で最も重要な、実践的価値があるのかどうかという評価について、おそらく研究者自体の判断に最終的にはゆだねられるのかもしれませんが細心の注意が必要かもしれないと、独りよがりになりはしないかと、少し心配ではありました。

エスノグラフィー

 エスノグラフフィーはいろいろ先行研究を読む機会があったり方法書を読む機会があったり、学会発表で聞く機会があって多少なり知識はあったのですが、基本的には集団におけるルーティンを見いだして問いに対する記述を行うという記述中心のいっぽうで、GT法は概念生成の方法で、(実践的に価値のある)モデルあるいは理論(説明力のある概念間の関係をまとめたもの)を構築するということが分かりました。ただ、エスノグラフィーは実践的な価値というより研究者集団への開示、研究者集団での合意が必要という話でした。また、かつては感情を排して価値中立のもと客観的に観察した内容を記述するというスタンスだったものが、最近では価値中立は不可能ということで、参与観察において感情も含めた人間的なつながりをつくり、そうして初めてこの方法での記述ができるというスタンスになって来ているそうです。

現象学的アプローチ

 現象学的アプローチは普遍性一般性に対する見方が、従来の実証科学と異なって、文脈を重視して、個々人の経験は主観的な経験ではなく、他者とともに作り出してきた経験であって、事象の記述のなかにある普遍性を見いだす作業で、これを現象学実証主義というとのことでした。そのスタンスは前提や自明の枠組みを崩すところから始まるとのこと。これはエスノグラフィーもそうでした。その一方でこの手法での記述を読み手が読むことを通じて読み手の実践に新たな更新が期待され、この期待もまたこの研究方法の一環のような話でした。これはMGTAに似たスタンスであるなあと思いました。
いずれの方法も研究プロセスを通じて研究者自身の自己変容も伴いそうで(少なくともMGTAとエスノはそんな話でした)、はじめに木下先生が言っていた研究者が方法論化する、という部分が共通する要素のようでした。

量的研究でも研究者が方法論化している

 ただ、聖路加の中山先生がいうように、量的研究も研究者の見方やスタンスがずいぶん反映される方法のようにも思います。統計学自体は客観的な結果をもたらすかもしれませんが、どう使うか、というあたりではかなり個別性が伴いそうです。しかし、介入研究、実験研究はまた違うだろうとも思います。前の職場で医学系の先生が、多変量解析を用いた量的な探索的な観察研究を好まなかったのも、研究者の主観がはいってそれがサイエンティフィックなのかわからないからなのかもしれません。木下先生が言うように、真実という答えがある世界だから、主観は誤差と考える傾向が強いからかもしれません。
 しかし、繰り返しになりますが、実践志向の研究という点で、その営みの意義は(実践科学という言葉が使われていましたが)、修正版GTAも、健康社会学でやられていたような、あるいはその極端な形でもある山崎先生のSOC具象化研究でやられているような研究は共通している、というように思うようになって来ました。