研究成果の社会への還元

 現在「高校生のストレス対処力SOC」という本を書いています。実質的には脱稿し、現在版組が行われています。3年間の追跡を行った調査結果を用いての検討でしたが、出版社の有信堂高文社からの要望で学術的というよりも、養護教諭や一般の学校教諭向けの実践家向けの分かりやすい本にしてほしい、という方針になって、かなり苦労して執筆しました。。高校生における健康生成モデルとSOC、というやや理論的なテーマで調査を続けていて、理論的な示唆は多分にでて来たのですが、高校生を対象とした健康生成モデルという切り口からいろいろ現実的な問題や課題、示唆が見えてくるものも多くあり、前者は学術論文としてまとめ、後者は成書としてまとめることになりました。
 学術成果を研究対象者や社会に還元するという作業は研究者の重要な役割の一つとも思うので、執筆者グループ一同で何度も議論を繰り返して原稿を作成したのでした。この調査研究を企画した段階では私もまだ大学院生で、看護師の臨床から戻って来たばかりのような状況でした。私と養護教諭の小手森先生と二人三脚のように始めた調査でしたが、次第に参加してくれる院生が増えて山崎先生も含めて最終的には7名のグループで研究をすすめ、さらに参加した院生達もみんな博士号を取得して研究者として一人立ちできるようにまでなりました。私も院を卒業後山口大学に行き、そこで引き続き科研費を取得して続けた研究で、今思えば、大変だったなあと感慨ひとしおです。本当に調査に関わってくださった学校の先生方や生徒の皆さんにも感謝です。
 
 しかし、すぐに使える研究、というのはなかなか難しいな、とも思います。今の東日本大震災被災地の研究で、研究者が被災地にどんどん入っていって、研究をするのは良いが、被災地の人たちの心情を無視した研究をしている人たちも一部いるようで、文科省の方からこんな通達まででてしまっています。http://www.lifescience.mext.go.jp/files/pdf/n813_00.pdf 被災者の人たちの口からは、私たちはモルモットではない、という言葉まで。。
 被災者研究については今後同様な被害が生じた際の方向性をふまえると必要であるし、全世界の各領域の研究者が待ち望んでいる成果かもしれませんが、現在の被災者自身でそれを待ち望んでいる人は多くないかもしれません。それよりも物資や補償、仕事、元のような生活、というところだと思います。もちろんフィールドに入って数年被災者とともに生活をした結果生まれるような社会学文化人類学的研究は重要と思います。放射能被害の実態調査やその要因を探索する疫学的調査も大事だと思います。ただそれが目的が明確でないような一瞬の質問紙調査やインタビューだけでは、対象者から反発が起こるのも分からなくないようにも思います。

 その一方で、研究は積み重ねだとも思います。ちょっとした発見があった、この報告も研究になりうるし、この発見がより普遍化されることを検証することも研究になり得ます。さらに介入プログラムを組み立てるのも研究で、その検証もまた研究です。そうして介入の効果がある程度普遍化されないと「科学的根拠=エビデンス」として、臨床実践や政策にも還元し得ないです。ちょっとした発見をそのまま臨床に用いるのは慎重であったほうがよいのですが、ではその発見の作業は研究でないのかというとそうではないはずです。積み上げていく、という作業が重要で、最後の介入効果の検証の部分だけがクローズアップされるのも問題でしょう。社会的還元がないと研究成果ではないという話ではないと思います。基礎的な研究がないと一段上の応用的な研究が進まないのです。社会への還元に結びつく(その一方で特許も取れるような)輝かしい応用研究があったとして、その底辺にある基礎的な研究群の意義、さらに基礎的な発見から介入プログラム(臨床介入方法)の開発につなげる部分の研究群の意義、プログラムの開発やプロセス評価の意義も考えたいです。

 前の大学で知り合った分子生物学の先生から、今自分たちは研究成果が世の中のためになるのか本当に良くわからないところでやっていて、私がいた社会医学系はヒトを対象にしていてすぐに世の中に還元できそうでいいですね、と言われたことがあります。基礎的な部分でやっていると、もちろんその発見のおかげで次のステップに移れて、ずっと先には新薬や新技術の発見につながりうることは分かっていた上で、ということなのだと思います。昨今の産学連携や大学の社会化のような動きに押されて本来大学に求められている基礎研究とそれを担う基礎研究者のモチベーションが下がっているのかもしれないです。その一方で、企業で研究をしている方の話では、最近大学が特許取得などに走り出して企業の研究と大学の研究と位置づけや役割が不明瞭になってきた。大学は基礎研究を行い、企業はそれを踏まえた応用研究を行う、ということで役割を明確にしてお互いに尊重し合ったうえでの連携がなぜできないのか、というようなことを聞きました。

 それは自然科学系研究者の世界の話ですが、社会科学系の研究でも、疫学研究でも人を対象とした研究を行います。その中でも臨床的でなく基礎的な研究成果を得るためにも人を対象として調査研究を行っています。こうした調査研究は次のステップに行くうえで重要な知見を得ることができるいわゆる観察研究ですが、なかなか重要性についてわかりにくいし伝えにくいように思います。もともとわかりやすくないのだと思います。表面的な役に立つ研究は分かりやすいのですが、その裏にある、基礎となる多くの研究の存在は無視できないのです。(世の中わかりやすさばかりを求めている風潮があるように思いますが。)また、私達はそうした一連の流れのもとで得られた成果(自然科学的な部分だけでなく人文・社会科学的な部分も含めて)を享受して成り立っている文明の元で生きていることを考えると、少なくとも私自身一市民として研究という営みに協力することもまた意義深いことと思いたいです。