インドの津波の研究

先日のpositive psychology 勉強会のもう一つの研究紹介はインドでの津波被害者の個人および集団のレジリアンスに関する研究でした。これは質的研究で、しかも、flamework approachという方法で、既にインタビューガイドが定まっていて、そこにそってインタビューを行ったというような種類の研究で、方法論的には、昔やっていた薬害HIV被害者や遺族への面接調査での研究方法論にちかい印象でした。壮絶な出来事だったろうに、この事件でのPTSD罹患率が低いというような先行研究があるらしく、著者らはそもそもPTSDの定義自体が西洋的なもので東洋では適用できないのではないか、ということまで言及していました。
西洋のと東洋と文化や価値観が違うので、PTSDも西洋の尺度では測りきれない、というロジックは雑駁でちょっといいすぎとはおもいました。が、確かに、自然災害と、人為的な災害というものではPTSDは随分違いそうです。さらに今度の福島の原発の影響によるPTSDもまた、人為的な事件ですが、交通事故のような人為的な事故ともちょっと違いそうで、既存のPTSDの評価が役立つのか疑問に思いました。
同じ被害者ということでカーストの高い人も低い人も同じような避難所暮らしを強いられて、そのコミュニティでのカースト制度の一部が崩れたとか、地域での一体感が生じたというような変化が見られる一方で、漁師が津波で流されて他者に助けられたという経験は海に生きて来たという自尊心に打撃を受けたというようなことも報告されていました。
あとは、「津波の前は家計のことはあまり考えていなかった」「のんきに考えていた」人が、事件後は「お金の価値がわかるようになった」「人生を真剣にかんがえるようになった、人生に責任を持ちたい」という言で、これはどうなんだろう?と思いました.インドだからなのか、日本でもあてはまることがあるのか、その辺は良くわからない結果でした。少なくとも一部の人にとっては、ここまで価値観の変容を迫られる出来事であったというのは、インドも日本もかわりなさそうですが。
きちんと読んでいないの何とも言えないのですが、質的な研究を見ていつも思うのは、ジャーナリズムとどこが違うのだろうか、というあたりです。面白くて「へえ、なるほど」と思うのですが、テレビのドキュメンタリーとどうちがうのか。特に、こうしたdeductiveな研究ではどう考えれば良いのか、ずっとついて回るのですが、方法で研究的な部分にうまく迫れない分、緒言や考察でその辺りを明確にしていくのかなあと。何が新たな知見で、結論はどこまで一般化できるものなのか、政策的に臨床的にどう活用できる結果なのか、きちんと言及できていなければならないだろうと思いました。もちろん、この論文でも、一部言及していましたが、一般化については、なかなか難しいとしかかけなかったようです。
Positive Psychology 勉強会の内容は今後はブログで更新するようになったそうです。
http://positivephealth.blogspot.com/