健康社会学のゆくえ

7月16日に山崎喜比古先生の東大退任記念会(3月19日の延期)があって、参加してきました。私は教室出身ということもあって主催者側にいて、写真係で、ひたすら写真を撮っていました。本当はスピーチの予定がありましたが、時間が押して中止に、花束贈呈役に移行しました。
100人を超す参加者がいらしていて、旧保健社会学教室OBや、東大健康科学看護系の先生方、保健学科OBや関係者にはじまり、保健医療社会学会関係や、先生のご家族やお孫さんも来ていました。
先生の講演では、医学部という組織における保健社会学の役割と、医学とは離れた保健学という領域と、保健学の中にある保健社会学の位置づけについて再考されていました。つまり、病気でなく病気をもって生活する人を見る、キュアでなく、ケアとサポートを追究する、専門家目線でなく市民目線で考えるというスタンスです。これは、在籍中に山崎先生から耳にタコができるくらい聞いていました。健康社会学とは健康・病気に対する社会学的アプローチということでまとめることができる、という話です。
あと、前に書いたかもしれませんが、保健学(health science)は英語で解釈するならばscience of healthでなく、sceince in healthでなくscience for healthなんだと。健康という目的的な意味合いがあるという話です。健康社会学もそうで、socilogy for healthであると。これはわかりやすいなと思いました。

私自身は、研究としては健康生成論やSOCに関するどちらかといえば理論的な部分について関心があってずっと追究してきていて、一般の市民の生活や人生を研究対象としていて、あまり説得力がないかもしれませんが、こうした学問領域が医学部の中にあって、間接的であれ医学教育の一端を担っていたというのは重要なことだとあらためて思いました。設置当時は非常に先見の明があったことであったと思います。医学部という疾病生成論的アプローチの牙城の中で、健康生成論的アプローチが粛々と行われていたということは、アントノフスキーがいう車の両輪(タイヤの一方になるほどではなかったかもしれませんが、出身院生の数は半端でなく多かった)に近い状況であったのではないかと。東大ならではの懐の深さというか、前に医学科の教員をしていたのでわかるのですが、ほかの大学であればまず理解を得るのが難しく、真っ先に削られてしまう研究領域、研究分野なのかもしれません。
しかし、こうした貴重な教室もわかりやすさを求める昨今の風潮でしょうか、結局後任は決まらず、山崎先生の退任を持って解散ということになってしまいそうです。優秀な先輩方でうまく山崎先生の後を継げる方が戻ってきて健康社会学が再興されればなあ、と祈るしかない昨今です。私自身が当面できることは、私の修士ゼミ生にこうした健康社会学的なアプローチを踏まえて指導すること、そして今手元にある大量の研究データを健康社会学的なリサーチクエスチョンのもとで論文化して表の世界に出してあげて、地道に論文を生産していくこと、に尽きるかな、と思っています。