optimismとsense of coherence その2 〜optimismの測定について

昨日に続いて、聖路加Positive Psychology勉強会で報告したことの感想の続きです。資料は以下のサイトです。
http://positivephealth.blogspot.jp/2012/10/optimism.html
Carver CS, Scheier MF, Segerstrom SC. Optimism. Clinical Psychology Review, Volume 30, Issue 7, 2010, Pages 879-889

前回の理論のところ2つに分かれそうということでしたが、測定については明確に2つに分かれているとCarver et al.(2010)では紹介されていました。つまり、直接、生活の中で期待する結果が良いこと、あるいは悪いことかどうかを尋ねるLife orientation Test (LOT) ; Life Orientation Test-Revised (LOT-R; Scheier, Carver, & Bridges, 1994)と、過去に対する解釈から将来の期待を把握するという方法(Peterson & Seligman, 1984)で、過去の成功や失敗の原因の帰属についてを問うものです。世に出ている多くの実証研究は前者のLOTを用いたもので、日本語版も出ていました(坂本、田中. 改訂版楽観性尺度(the revised Life Orientation Test)の日本語版の検討、健康心理学研究, 15, 59-63, 2002).
LOTーRはフィラー4項目を含む10項目で(したがって実質6項目)できており、たとえば「はっきりしないときでも、普段私は最も良いことを期待している」とか「私は自分の将来についていつも楽観的である」といったような、現在の考え方を聞くものです。会議の議論では、逆転項目があるとはいえ、6項目でこうしたことを聞くというのは、本当に極端に前向きな人(周りを顧みないような人)も測定してしまいそうで、大丈夫なのか、という意見が出ていた。つまり、私が特に思うのは、基本的には定義のところでみたように、何か大きな出来事に遭遇した時に、それに負けてしまうのではなくて、うまくいくだろう、と思える感覚なはずなのに、大きな出来事ではなくて、日常の些細なことや人間関係や仕事の中でも常々楽観的で、ある意味鼻持ちならなかったり、あるいは聞く耳をもたなかったり、そういうような楽観的な人も、この尺度では取れてしまうのではないか、という危機感でした。ただ、行動理論的に端的に「うまくいくだろう、いいことが起こるだろう、という期待」を持っていることを定義としていて、ストレッサーの対処機能などのストレスプロセスのことは理論的には基礎としていない以上、測定する尺度としてはこれ以上のものも以下のものも期待できないのかもしれないとも思われました。あくまでも、LOTが捉える楽観性とは、将来良いことが起こると常々期待している、という感覚である、ということです。
実は、困難なときにも「なんとかなるだろう」とか、「うまくやれるだろう」という感覚は、山崎先生が紹介しているように、SOCの下位尺度の処理可能感に近い感覚と思います。処理可能感は、困難(ストレッサー)に直面した時に、うまくやれる=(なんでもよいが)周囲の資源を首尾よく活用して処理できる自信のことで、資源を動員することに等しいと解釈できます。つまり、ストレッサーを乗り越えるための手段を持っていてこその楽観、という解釈、定義ができれば、SOCの処理可能感は楽観なのかもしれません。SOCが高いことが前向きな感じに捉えられる一つの要因はこの要素があるからだろうと思いました。

もう一方の、セリグマンらによる尺度です。私が見たのは32項目のもので(セリグマン著小林訳「世界でひとつだけの幸せーポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生」 アスペクト、2004)、各項目で挙げられる状況を読んで自分をその状況にあてはめ、想像し、2択のうちどちらかを選ぶ、というスタイルになっています。わからない時も、わからない、という選択肢はなくて、たぶんこうだろう、という方を選ぶように指示されています。たとえば、
1「ある人にデートを申し込んで断られた」という項目には、「Aあの日はついていなかった」「Bデートに誘った時にうまく話せなかったからだ」の2つ
2「窒息死しかかった人を助けた」という項目には、「A私には窒息死しかけている人を助ける技術がある」「B私は危機的状況にどう対処していいのかを知っている」の2つ
3「友だちから傷つけられるようなことを言われた」という項目には「A友達はいつも思いやりがなく、つい口を滑らせる」「B友達は機嫌が悪く、その矛先が私に向けられたのだ」の2つ
4「パーティで頻繁にダンスに誘われた」という項目には、「Aパーティではいつも社交的だ」「B私はあの晩、絶好調だった」の2つ
などなどです。1、3は、悪い出来事、2、4は良い出来事で、1、2は普遍的ー特定的の軸での説明、3,4は永続的ー一時的の軸での説明で、たとえば、1の場合、Aだと普遍的、Bだと特定的となり、4の場合Aだと永続的、Bだと一時的、ということになります。悪い出来事については、特定的、一時的な説明、良い出来事については、永続的、普遍的な説明であるほど楽観的であるという評価、逆は悲観的になります。さらに、良い出来事で特定的あるいは永続的と回答した合計は「良い希望」、悪い出来事で普遍的永続的と回答した合計は「悪い希望」と称しています。「希望」なのかどうかは私はちょっとすぐには解釈ができないのですが、こうした評価自体は理解できます。ただ、あまりにもかけ離れた状況を想起させるのはバイアスがかかりそうにも思いました。たとえば、ここには示しませんでしたが、「保有株が低迷している」とか、「スキーでひどく転倒した」とか、なかなか、経験がなかったり、立場や年代によっては回答しにくい項目があったり、中山先生が言うには、「パーティで頻繁に…」という例などは、文化的な差異で日本人などは分かりにくいのではないかと指摘されていました。項目の内容だけでなく選択肢についても、2択というのもなかなか微妙で、回答者は回答しやすい?かもしれませんが、もう少しグレーな選択肢を用意するとか、真ん中にどちらでもないという選択肢があってもよいのではないか、とも思いました。
SOCの場合はどうなっているかというと、アントノフスキーは苦労したと見えて、SD法という両極に言葉あるいは文を配置して数直線で結び、その人の数字概念を活用してもらって、その間のどの辺に位置づくのかで数字に○をしてもらうという方法をとっています。回答者評判はあまりよくないかもしれませんが、ただ計量心理学的には、無理に2択にするよりもはるかに良くて、苦肉の策ともいえるのではないかと思います。

以上、大きく2つあるoptimismの尺度についてみてきました。どうしても自分がSOCの研究をしていて比較したときに贔屓目にみてしまっているので、SOCのほうは置いておいて、optimismの尺度自体、双方とも完璧、といえるものではないかもしれません。ただ、特にLOCについては、報告したレビュー論文にみられているように(資料参照)非常に多くの先行研究が見られていて、その機能もまた少しずつ実証研究レベルで明確になりつつあり、健康にとって良いことがわかっていますし、セリグマンのほうも、介入プログラムの評価指標として活躍しているようです。こうした自分自身の楽観的な志向性について客観的に把握していて、それを重要な局面において遺憾なく発揮できる、ということが望ましい楽観性のあり方なのではないかと思います。その意味では、おそらく重要な内的資源になりうる概念と思いますし、今後も注目すべき概念だと思います。次回は介入研究や臨床応用、我が国における応用など、この概念の応用可能性について考えていきたいと思います。