sense of coherence とhealth literacy

 現在再び放送大学の「市民のための健康情報学入門」なる教材の作成に追われています。聖路加の中山先生と二人で主任になっているのですが、中山先生のご研究?のお手伝いでHealth Literacyについては多少勉強はしたものの、非常に奥が深い分野で私自身全く持って未熟ではありますが、ヘルスプロモーション全般にもかかわると言うことから興味もあって、色々あって引き受けることになりました。
 中山先生がご作成の健康を決める力というサイトがあって、そこで、市民が健康になるためにはどのような知識が必要なのか、情報と意思決定から、医療者患者関係、ヘルスプロモーションにいたるまでの壮大な知識の集合体になっています。
http://www.healthliteracy.jp/
 このサイトでは広義(と言うのかわかりませんが)のHealth Literacyを身につけることが目的となっており、このサイトの内容を活用し、あるいは、もう少しわかりやすく、新たな知見も加えつつ教材を作成することになりました。
 シラバスを作っていて、そういえば、と、色々思い出したことがありました。Health Literacyを定義し、ヘルスプロモーションの中に位置づけたNutbeam先生の話(ジュネーブの学会の時)で、彼が言う3段階のHealth Literacyのうちの最も高位に位置するCritical Health Literacyとは、健康的でいるために様々な資源を動員し活用する力、と言っていたのを思い出しました。これはどこかで聞いたことがある話だと思っていて、そうだSOCの機能とかぶるのではないか、とも思いました。
 実際に尺度を見てみると自己効力的な部分(うまく吟味する自信がある)とか、行動信念の測定になっているのかなあと。なかなか批判し吟味する、あるいは、Nutbeam先生が言うような、資源を動員し活用する、と言う根源的な能力になってくると項目数が必要になるかも知れず、測定は難しいのかなあとも思いました。
 じゃあSOCでは、となると、SOCの場合は生活や人生の場面全体を視野に入れた上での資源の動員なので、価値観も入ってくるので、極端な話で健康のことなんて生きている上ではそんなに大したことはないと思っている人は、そもそも興味ないので批判的HealthLiteracyが低く出ることもあるかもしれないとも思いました。ただもちろんのことながら、概してSOCが高い人はHealthLiteracyも高くなるとは思いますが。
 SOCは、医療系の研究者に好まれる傾向があるようですが、本来は医療者泣かせというか、医療や保健といった専門家中心の狭い世界の問題を扱うのではなく、一人の人間の生活主体の概念なのかもしれません。
 あと思いだしたのは、T.S. Eliotの詩(昔駿台で奥井潔先生から習ったもの)でした。Where is the wisdom we have lost in knowledge? Where is the knowledge we have lost in information? wisdom, knowledge, informationそれぞれの獲得にかかわるのが、批判的、相互作用的、基本的なliteracy?