健康生成論と病いの経験

 これまで量的研究ばかりを行ってきて、ほとんど質的研究を行ったことがなかったにもかかわらず、患者を対象とした質的研究において重要なキーワードである病いの経験と語りについて執筆しなくてはならず、とても勉強になったのですが、この1週間、大変にストレスでした。。。非常に難しくて、引き受けてしまったのですが、書いていて途中で投げ出したくなるほどでした。。
 ただし、アーサー・クラインマンの「病いの語り」を何度も読みかえしていて、クラインマンは一貫して、生物医学vs生物心理社会モデルの軸で、疾患(disease)と病い(illness)を説明していきます。病いの語り(illness narrative)は、後者の枠組みであって、前者が客観的、生物学的な病変を扱うことに対し、主観的で文脈的な側面を包括的にとらえるもので、クラインマンが言うには、しばしば、前者の立場を医師が、後者の立場を患者がとることにより、病気の理解にギャップが生じる。医師が、病いの語りに目を向けたり、患者から引き出すことや、病いの文脈で説明を行うなどの対応を行うことで、より良い医療になる可能性について言及しています。
 Antonovsky自身は、健康生成論的志向における6つの論点として、以下を挙げています。

    1. 健康を連続体としてみるか、二分法でみるか
    2. 人のストーリーをみるか、疾病をみるか
    3. 健康要因をみるか、リスク要因をみるか
    4. ストレッサーを健康生成的にみるか、疾病生成的、あるいは中立的にみるか
    5. 適応を探るか、魔法の弾丸を探るか
    6. 逸脱に目を向けるか、仮説の確証で満足するか

(それぞれの説明については、20100827健康生成論とヘルスプロモーション.pdf 直)

これらのうち、2番目の、人をストーリーで見るか、疾病で見るか、というくだりと、クラインマンの主張は全く一致しています。Antonovskyはキャッセル(Cassell,EL)の医療におけるストーリーに関する分析から採用しています。
疾病生成志向であると、視野が狭くなり、病因論的にはきわめて重要なデータを見落とす可能性があるといいます。臨床医にとってきわめて重要であろうという話になっています。
AntonovskyもKleinmanもお互い引用はされていないのですが、似たようなところに行きついているので、興味深かったです。
「病いの語りは、その患者が語り、重要な他者が語り直す物語であり、患うことに特徴的なできごとや、その長期にわたる経過を首尾一貫したものにする」とあります。coherenceで検索すると、良くこのナラティブに関する質的研究が引っかかってくるのですが、経過のcoherentをもたらすものとして、sense of coherence、特に有意味感や把握可能感とも大きく関係するとも考えられるとも思いました。そのあたりはまだ書いたことはないですし、議論したこともないのですが、SOCに関する質的研究の中にも出てきたような気もしますし、色々調べてみようと思いました。