NPOライフリンク「『ライフスキル(生きる技術)勉強会』〜閉塞社会を生き抜くために〜」の個人的な総括

12月17日(土)に、中大駿河台記念館にてNPO法人ライフリンクが主催する勉強会「『ライフスキル(生きる技術)勉強会』〜閉塞社会を生き抜くために〜」が行われました。
http://www.lifelink.or.jp/hp/ust.html
内容は、SOCについてのもので、山崎先生が講師として登壇されていました。内容については、リンク先で映像配信している上、配布資料もダウンロードできるようになっているので、ここでは割愛します。大きくは、SOCとは何か、という説明と、そのあとに、どのようにSOCを育んでいけばよいのか、というあたりのディスカッションでした。
SOCの概念については、以前の記事をご参照ください(http://d.hatena.ne.jp/ttogari-tky/20110829/1314590669)。

以前から配布されていた勉強会の宣伝文句が、「アウシュビッツで生死を分けたSOCとは」というようなタイトルになっていて、ライフスキルの勉強会というテーマ名にもなっていて、正直なところ誤解してきている人が多いだろうなと、不安に感じながら会場に参加しました。ディスカッションについてもどんなものかなあ、と。

ライフリンクの清水さんのお話を要約すると、現代の日本の社会は強制収容所化しているのではないかと。そしてそんな社会にさえ全く期待されず見放され孤立してしまった人たちは何を頼りにして生きていけばよいのか、というときにSOCが出てくるのではないか、ではそんな人たちはどのようにしてSOCを高めていけばよいのか、というような疑問をテーマにされていたように見受けられました。そして、社会構造・システムに問題があるのはわかっているし、そうした社会環境を変えていくことが必要なのはわかっている。しかし、それを変えることは重要でやっていかなければならない一方でそのためには大変に時間がかかるし現在困難にさらされている人はどうすればよいのか、ということも仰っていました。
それに対して、山崎先生は、結局SOCを高めたい、SOCを伸ばしたいという考え自体は、個人主義的な考え方なのであって、結果としてSOCが伸びている高まっているということがわかる程度のものであって、一人ひとりがSOCを伸ばしたいという考え方はかなり問題があると。
極端に言えば自分が良ければよいのか、ということにもなるので、すかさず、作家の星野智幸さんが、周りの人に愛や信頼を与えることでめぐりめぐって自分に戻ってくるという考えなのでしょうか、というようなことを仰いました。互恵性の話で、ソーシャルキャピタルの話にもつながってそれも一つであるとは思うのですが、そこで終わらなかったのが、良かったのか混乱に陥ったのか。私達はきれいに終わらせて、簡単な結論で終わらせて、というところに行きつきたいのですが、山崎先生はそれにも首をかしげているような感じでした。。結局は愛や信頼や平和でしかない、というような抽象的なことを繰り返し仰っていました。

その後少人数のグループワークがあって、様々な方とお話しする機会がありましたが、失業中の方などは、正直具体的な方法を聞けると思っていたので、残念だった、という意見がいくつかみられました。ただ、話を進めていく中で、だれか何かの助けを得ながら今まで来ている、現在八方ふさがりの状況だけれど何とかなっていないものの、そんな中でも誰かのちょっとした助けを得たりする機会があることに気付いた、というような話もされており、結局社会構造というような大きな環境でもなく、個人の能力や力というような個人的な問題でなく、身近な、周りの人たち、というところに着眼し、そことのポジティブな関係に気付いていくこと、それが積み重なることで、SOCはおのずと上昇していくのではないか、という話になりました。

おそらく私たちがよりよく生きていくためには、良いところ・良いもの・良い人探しをしていくほかないのかもしれないです。ネガティブな経験が数多く重なってしまった、というとき、SOCが下がる負のスパイラルに陥る危険性があるのですが、絶望的な状況になっても、感情を落ち着けて、ふと身の回りで、ひょっとして役に立ちそうな人やモノを見つけ出し、それがきっかけでポジティブな連鎖につながっていくこともあるはずです。普段から周囲の環境を見て、良いものや良い人に気づくこと、それを整理できること、物語力と清水康之さんは仰っていましたが、その整理ができるのか、その気づきを定着化させ日々の生活の中で確信していくことができるのか、これがSOC向上のカギであろうと思います。自分一人で上げるような努力もできるかもしれませんし、ちょっとした発想の転換を促してくれるような他者、専門職でもいいですし、友人やグループメンバーでもよいのですが、そういった人がいるとより容易に負から正へと転換が図られるのかもしれません。