SOCが持つストレス対処機能

SOCが持っているストレス対処能力について、元々この概念自体はアントノフスキーが強制収容所体験の人たちをヒントに考えた概念であるので、こうした過酷な経験をした場合に意味を持つのであって、普段の生活の中でどこまで意味があるのか分からないというような話を良く聞きます。つい最近にもそういう話を複数の方から聞かされましたし、先日の震災の被災者こそこういった能力が発揮されるのではないか、ということも聞きました。
一部は間違っていませんが一部は誤解もあると思います。確かに、おそらく被災して何もかも失ってしまった方々の中にも絶望して寝込んでしまう方、自暴自棄になってしまう方もいるかもしれませんし、大変な状況にも関わらず生き生きと生活をしている方もいると思います。後者は明らかにSOCが高いことが関係しているのは明白だと思います。被災者のかたがたにインタビューなどをしてなぜ生き生きと生活できるのか聞いて回るとSOCの人生観、生活観が抽出できるのではないかとも思いますし、現在は被災者の皆さんは大変なときなので、そんな研究をするのは難しいかもしれませんが、落ち着いたときにできればと思ってはいます。研究者としては大変に興味がある一方で、SOCの調査をして低く出てしまった人にどのようにサポートをすると良いのか、そういった実証研究成果がない以上、こういった状況でむやみにSOCを同定するのはどうなのかな、と葛藤するところです。

他方、SOC自体は日常生活を念頭に置いた感覚ですので、トラウマティックな状況のみに限定してしまうのは尚早な考え方であろうと思います。アントノフスキーの発想としては強制収容所経験者の研究をヒントにしていますが、理論を生み出す元になったのは一般市民100名の面接調査で、市民の生活の中での人生観やストレスへの見方や向き合い方を整理することを通じてSOCの存在を確信し、スケール化されたものです。テデスキらのポストトラウマティックグロウスという概念がありますが、この概念はまさにそうなのですが、私の理解では、SOCの形成にかんする理論は、ポストトラウマティックグロウスを日常生活レベルにおろしたものともとらえることができると思っています。
確かに、細かい出来事についてはSOCが高い人は無視するでしょう。アントノフスキーがいうように、デイリーハッスルのような、誰かとケンカしたとか、会社に遅刻したとか、そういった日常のいらだちごとはあまり関係しないでしょう。そもそもそうした一過性の些細な出来事については相手にしないし、機能しないかもしれません。裁量度の低さやサポートの少なさなど心理社会的な職場環境のような日々繰り返される慢性ストレッサーや、結婚や離婚、転居や異動、配偶者の死や親の死など、人生上の出来事ライフイベントに対しては大きく機能するといわれています。