SOC研究の難しさ(その1)

私の修士課程の院生がSOCを研究テーマにしたいと言って来て、話を聞いていながら、SOCを扱った研究とその難しさについて色々考えることがありました。忘れないうちに書き留めておこうと思いました。自分も学位論文審査の時や、学会などで、色々言われたことかも知れないのですが、山崎先生が良いと言っているし、という感じでついついあまり深く追求せずに居た部分かもしれません。何度かに分けて、難しさについて記していこうと思います。

難しさその1. sense of coherenceという、かなり限定された「人生への見方/考え方」を扱うと言う点
SOCは、人生への見方や考え方に関する概念なのですが、さまざまある見方考え方の中でも、有意味感、把握可能感、処理可能感という、かなり限定されたものの見方を扱っているということです。それが客観的に何を意味するのか、というところでは、「生きる力」「生き抜く力」とか、「ストレス対処能力」とか、「レジリアンス因子」とか「内的ストレス対処資源」とか、そうしたくくりで研究の変数として考えることと、SOCを単独で扱うことと、乖離があると思います。「生きる力」となると、SOCもそうかも知れませんが、ほかにも様々な変数が考えられます。ストレス対処能力、という要素としても、様々な要素が考えられると思います。今研究として明らかにする概念として何を考えているのかと言うことを整理して置く必要があって、短絡的にこうした概念とSOCを結びつけるのではなく、例えばストレス対処能力に感心があるなら、SOCのほかにもハーディネスとか、プロアクティブコーピングとか、オプティミズムとか、他の変数についても同時に見ておくことは必要ではないかとおもいます。
他方で、「SOC」のストレス対処能力的な機能という側面に着眼した研究、というような、SOCとは何なのか、という、とことんSOCについて深めていく研究は十分に考えられますが(それを(狭義の)SOC研究と呼ぶことが多いのですが)、かなり狭い焦点の研究です。それがわかってどうなるのか、という研究の示唆の部分についてはよくよく慎重に考える必要があると思います。