Sense of coherence (首尾一貫感覚)とは

SOCの定義は、Antonovsky(1987)の中で、以下のようにいわれています。
「その人に浸みわたった、ダ イナミックではあるが持続する確信の感覚によって 表現される世界(生活世界)規模の志向性のことである。それは、第一に、自分の内外で生じる環境刺激は、秩序づけられた、予測と説明が可能なものであるという確信、第二 に、その刺激がもたらす要求に対応するための資源はいつでも得られるという確信、 第三に、そうした要求は挑戦であり、心身を投入しかかわるに値するという確信からなる」と(山崎、吉井監訳「健康の謎を解く(有信堂高文社)」より)。

2008年に出された「ストレス対処能力SOC(有信堂高文社)」では、山崎先生によってもう少し意訳されていて
「その人に滲み渡る、動的ではあるが持続的な次の3つの感覚の程度によって表現される、その人の生活世界全般への志向性のことである。第一に、自己の内外で生じる環境刺激は、秩序づけられ、予測と説明が可能であるという確信、第二に、その刺激がもたらす要求に対応するための資源はいつでも得られるという確信、第三に、そうした要求は挑戦であり、心身を投入し関わるに値するという確信からなる」
若干修正がされていて、動的でかつ持続的というような性質と、生活世界全般への志向性、というところを明示しています。

さらに「ストレス対処能力SOC」の中で「文字通りには、自分の生活世界はコヒアレントである、つまり首尾一貫している、筋道が通っている、訳が分かる、腑に落ちるという知覚・感覚のことである。それは次の三つの感覚からなるという。第一は、自分の置かれている、あるいは置かれるであろう状況がある程度予測でき、または理解できるであろうという把握可能感、第二は、何とかなる、何とかやっていけるという処理可能感、第三は、ストレッサーへの対処のしがいも含め、日々の営みにやりがいや生きる意味を感じられるという有意味感である」と説明されている。加えて、「こうした確信の感覚が、環境と主体である人との相互作用からなる生活世界へのその人の志向性(中略)見方・向き合い方の表現なのであって、単なる主観や心模様ではないし、ましてや思い込みや思い入れでない」と説明している。

山崎先生の説明でずいぶん分かりやすくなったと思いますし、そもそも人間の生を追求する理論なので、これを単純にひとことで説明するというのは乱暴な話のようにも思いますが、定義を理解するためのはじめの一歩としての説明を試みると、以下のようになると思います。
SOCは世の中に対する向き合い方や姿勢の特徴を表していて、どんな姿勢の特徴かというと、「世の中は安定していて先行きもみえると思えること」と、「何かあってもだれか/何かに助けてもらえる、何とかなると思えること」と、「生きていくうえで出会う出来事にはすべて意味があって、この先出会うことも挑戦と思えること」の3つの特徴から成り立つものです。さらに、先日女子高生にもわかるように説明してほしいということを近所の某先生からいわれて、せつめいしたのが以下です。SOCとは「生活・人生が安定しているように見えて、だれか何かに守られていて、世間や人生は面白いと思える、ということ」。最後の女子高生版はかなり端的すぎて勘違いされる可能性がありますので割引して理解していただければと思います。

私がこの概念を理解するうえでのカギと思うのが、「一貫性(コヒアレンス)」という言葉だと思います。山崎先生の説明のように、ひとつは、生活世界が首尾一貫している、筋道が通っている訳が分かる、というところですし、もうひとつは周囲の環境(物理化学的、心理社会的)と自己の内面との相互作用、言い換えると自己の内と外とがつながっている、一貫しているという所だと思います。二元論的、あるいは西欧近代文明における機械論的自然観ではない世界観がこの概念の根底にあると理解しています。東洋的、さらに日本人の生活観世界観に親和性があるのではないかという話も納得できます。「首尾一貫感覚」という日本語名を当時の山崎先生達開発グループが名付けているのですが、最近になりようやく納得がいくようになってきました。